「当たり前」は「有り難い」
2026/10/10
今年のお盆での出来事、棚経にお参りしている最中に、バイクが故障してしまいました。
走行中に突然エンジンが止まり、そのままエンジンがかからなくなってしまったのです。
お寺から離れた場所だったため、戻ることもできず、バイク屋さんかガソリンスタンドを探して、炎天下の中、バイクを押して歩くことになりました。
いつもならバイクで10分ほどの道のりです。ところが、その日はバイクを押して、1時間もかけて歩くことになりました。
普段なら、バイクに乗ってスイスイと走り、あっという間に着いてしまう道のりです。それが、バイクが動かなくなった途端、こんなにも長く、こんなにも大変な道のりになってしまったのです。
そのとき、私の頭の中をぐるぐると回っていたのは、この後のお参りの時間が遅れてしまうこと、今日中に予定しているお宅をすべてお勤めできるのかということ、そして明日、明後日の予定をどうすればよいのかということばかりでした。
すっかりパニックになってしまい、頭の中では何度も、
「こんなときに限って、なんで故障するんや!」
という、やり場のない怒りが込み上げてきました。
しかし、歩きながら、ふと考えてみたのです。
バイクが故障したのは、この日が初めてのことでした。
それまで毎日、文句ひとつ言わずに動き続け、私を乗せて、あの道のりをスイスイと走ってくれていたのです。
いつもは当たり前のように運んでくれていたバイク。その有り難さに、私は一度も感謝したことがありませんでした。
動かなくなった途端に腹を立て、それまで毎日、何事もなく動いてくれていたことには、何の感謝もしていなかったのです。
私たちも普段、物事が思いどおりに進むと、それが当たり前のように感じてしまいます。
ところが、何かトラブルが起きて思いどおりにいかなくなると、「よりによって、こんなときに」と不満を抱き、怒りをぶつけてしまいます。
けれども、本当に、物事がうまくいくことは当たり前なのでしょうか。
何事もなく一日を過ごせること。予定どおりに物事が進むこと。いつも使っているものが、今日も変わらず使えること。
それらは決して、当たり前のことではありません。
だからこそ、物事がうまく運んだときに「有り難い」と感謝することができれば、これまで当たり前だと思っていた日常が、かけがえのないものへと変わっていくのではないでしょうか。
私たちは、不足しているものにはよく気がつきます。
「あれが足りない」「これがうまくいかない」と、不満に思うことはたくさんあります。
けれども、今、自分が満たされていることには、なかなか気づくことができません。
そして、失って初めて、それまで自分がどれほど多くのものに支えられていたのかに気づくのです。
私にとっては、あのバイクの故障が、まさにそうでした。
西山浄土宗では、お念仏を「歓喜の念仏」といただきます。
私たちを苦しみから救い取ってくださる阿弥陀如来のお慈悲を知り、そのお救いにあずかっている喜びから、お称えするお念仏です。
それは、阿弥陀さまのお慈悲に対する「有り難う」のお念仏でもあります。
「有り難い」とは、文字どおり、そうあることが難しいということです。
今、こうして変わらない毎日を過ごせていることも、決して当たり前ではありません。
さまざまなご縁に支えられ、たくさんのものに恵まれて、今日という一日をいただいているのです。
そう思えば、いつもと変わらない毎日こそが、実は「有り難い」毎日なのではないでしょうか。
日常の中に足りないものを探し、不満を抱きながら過ごす一日と、今あるものの有り難さに気づき、感謝の気持ちで過ごす一日。
同じ一日であっても、その受け止め方によって、心のありようは大きく変わります。
あのお盆、炎天下の中でバイクを押しながら、私はそんな大切なことに気づかせていただきました。
当たり前だと思っていたことが、実は有り難いことであった。
そのことに気づかせていただいた、私にとって忘れられないお盆となりました。
今日も変わらず生かされていることの有り難さに気づき、その喜びを「南無阿弥陀仏」のお念仏に込めながら、一日一日を大切に歩ませていただきたいものです。
合掌
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西山浄土宗 遍照山 念佛寺
住所:京都府京都市南区東寺町531
電話番号:075-691-2518
FAX番号:075-691-5612
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